泥中の蓮

情報過多の弊害

今は情報を得るのが簡単すぎて多くの場合、情報過多の状況にある。

その結果、悩まなくてもいいことや、自分には全く関係のないことにまで興味を示してしまい、本来の自分の成すべきことから離れがちである。

ネットで検索し、多くの情報を得るのはもちろん重要なことである。

しかしその中でどれが正しく、信じるべきものなのかということについては深く考えなければならない。

私たちは自分の人生の主人であるだけであり、他人の人生に土足で踏み入って言い訳でもないし、他人に自分の人生を支配されてもいけない。

誰かのために時間を使うことは素晴らしいことではあるが、たいていの場合、その相手にとっても何にもならないような時間の使い方をしてはいないだろうか。

誰かの陰口を言ってみたり、会ったこともない人のうわさ話をしたところでいったい何になるというのだろうか。

自分の時間の使い方は自分次第である。

他人に強制されることもない。

よりみちばかりせず、自分の道を歩かなければならない。

目的を捨てて楽しみにばかり向かう人は、やがて正しい道を歩む人をうらやむ。

ダンマパダ(仏典)209より

自分の目標を見失わないように、毎日前進しましょう。